· 

普通の市民を犯罪者に仕立て上げる新聞記事の罪深さ(下)

 前回は、われわれ愛好者の立場から愛好者の思いだけを一方的に書いてしまったが、本当はもっと大事なことがある。北限のギフチョウは本当に大丈夫なのか、絶滅の心配はないのかということだ。

 普通の市民を犯罪者に仕立て上げる新聞記事の罪深さ(中)(内部リンク)

■ 北限のギフチョウの実態

 当地のギフチョウが発見されたのは40年ほど昔のことらしい。そして約30年前、つまり80年代の後半に私たち愛好者の間に「ギフチョウブーム」というのが巻き起こり、そうしたなかで当地のギフチョウは北限のギフチョウとして全国の愛好者に知られるようになった。最近はさすがに下火になったとはいえブームはいまだに続いている。そして分布の北限のギフチョウは愛好者を熱くし、これまで大勢の愛好者がはるばる秋田へと足を運んできた。

 にもかかわらず、当地のギフチョウは絶滅どころか大して減ったようすもない。なぜか? それは、一般に昆虫は採っても減らないからだ。そんなことは誰もがゴキブリで経験済みのはずだ。要は発生源を絶たなければ、成虫を間引いた程度ではびくともしないということだ。ゴキブリが減らないのは、昆虫の中でもゴキブリだけ特別な存在だからと思っている人がいるならば、それは殺虫剤メーカーのCMの見すぎだろう。ゴキブリはただの昆虫である。モンスターでもなんでもない。建物という閉鎖的な環境下のゴキブリでさえ間引いても減らないのだから、ましていわんや広大な屋外においてはなおさらだ。

 では当地のギフチョウが今後とも絶滅の心配がないかというと、以下は私見だが次のような危惧がある。

(1)開発による影響

 当地は新聞記事にもあるように国定公園の特別地域に指定されているため、県知事の許可なく開発が行われることはない。だから安心かというと全く安心ではなくて、国定公園というのはその名のとおり「公園」であり、自然公園法の目的にかなう場合はさも当然のように開発許可が下りる場合がある。当地においても、記事中にある桑ノ木台湿原を訪れる観光客のための大規模な駐車場が整備されている。湿原を探索して自然に親しむことは自然公園法の目的にかなうことなので、そのための駐車場の造成は当然のように許可が下りる。結果として当然のようにギフチョウは減少する。もしかすると駐車場は国定公園の境界の外側かもしれないが、駐車場周辺も紛れもないギフチョウの発生地である。

(2)ブナ林の再生

 自然保護、自然保護と上から目線で言っているが、実は当地はかつては鬱蒼としたブナの樹林帯だった場所を、人間がこれを伐採したことによってギフチョウが増えたと考えられる。どういうことかというと、深いブナ林の林床は暗すぎてギフチョウの生息に適さないが、これを人間が伐採したことによってギフチョウの生息に適した明るい再生林が形成された。つまり、当地のギフチョウは人工的に増えたということだ。だから放置すればいずれブナが成長して再び林床が暗くなり、確実にギフチョウは減少する。もっとも、それが当地の本来の自然の姿だとしたら、別に憂うることではないかもしれない。ただし、ブナ林の再生は教科書通りに物事が進んだ場合の話である。当地は冬場の日本海からの季節風や積雪の影響で、ブナの成長はかなり遅いと想像できる。つまり、一度伐採したブナ林は簡単には元には戻らないということだ。

(3)温暖化による気候変動

 近年の地球温暖化による気候変動は予測不可能なレベルに達している。日本海側でギフチョウの発生量が多いのは冬場の積雪のおかげで、つまり積雪が冬場の越冬蛹を乾燥から守り、大量の雪解け水が春から初夏にかけて大地を潤し、乾燥に弱いカンアオイやサイシンの生育を支えている。したがって、今後温暖化が一層進行してこの地方の積雪量が大幅に減少するような事態に発展すると、ギフチョウの生息が危ぶまれることになる。

(4)シカの食害による影響

シカの分布拡大予想図(環境省ホームページより)
シカの分布拡大予想図(環境省ホームページより)

 近畿地方を中心として、凄まじい勢いで拡大するシカの食害。林床の草本を徹底的に食いつくし、地肌が丸出しになって裸地化している場所さえある。こうなってしまえばさすがにギフチョウは絶滅を免れない。すでに滋賀県のギフチョウは、シカの食害を主な原因として県全域で絶滅状態と聞く。

 今のところ、豪雪地帯である新潟から東北の日本海側にかけては、シカが分布を拡大する可能性は低いと予想されているが本当だろうか。ニホンジカの亜種であるエゾシカの棲む北海道でもシカの食害がすでに極めて深刻であることや、(3)で述べたように今後の温暖化の進行により積雪が減った場合を考え合わせると、安穏とはしていられないように感じる。天敵であるオオカミが滅んでいる以上、生態系は復元するすべをもたない。人間が有効な対策を打たなければ大変なことになる。北限のギフチョウがシカの食害で滅ぶ頃には、日本列島の豊かな自然は壊滅的であろう。

■ メディアの罪

 このような北限のギフチョウの現状と今後について、冒頭の新聞記事を書いた記者はどのように認識しているのだろうか。そして、記事を書くに当たってどれほど専門家に取材し、そしてそれをどこまで理解したのだろうか。記事によれば秋田自然史研究会に取材したようだが、残念ながら専門的部分で支離滅裂な記述があったり、稚拙な誤りがいくつもあったりで、いちいち個別に指摘しないが正直うんざりだ。

 「乱獲の実態が報告されている」と記者は言い切っているが、いったいどんな「実態」が報告されているのか。そもそも何をもって「乱獲」と言っているのか。ここまでで私が書いてきたように、何度も何度も遠方から通って、やっと1頭を自分の手で仕留めて喜びに打ち震えている少年のように純粋な中年オヤジの行為が「乱獲」なのだろうか。

 いや、そういうつもりはないと、この記者は言うかもしれない。しかし、この記事はそういう愛好者まで十把一絡げにして犯罪者扱いしている。というか、そういう人が愛好者の大多数であるという事実に、この記者は目を向けようともしていない。

 大の大人が昆虫採集をしているというだけで色眼鏡で見て、きっと金儲けが目的に違いないと心のどこかで決め付けて、ネットオークションに出品されているのを見つけて鬼の首でもとったかのように書き立てる。記事からはそんな図式しか見えてこない。そこには「メディア=権力」という自覚も、人権感覚のカケラも感じられない。

■ 最後に

 くどくなってしまったが、最後に最近の中日新聞に掲載された記事を貼っておく。冒頭の読売の記事でいうところの「愛好者」と、下の中日の記事に登場する「研究者」は、それぞれの新聞によって真逆の評価を受けているが、違う人種でもなければ主義主張が異なるわけでもない。どちらも同じ蝶の愛好者であり、私たちが好んで呼ぶところの「蝶屋」である。もちろん蝶屋の中にも人により活動内容や立場は様々で、浜栄一氏や江田信豊氏のような一流の蝶屋から見れば、私のような二流以下の蝶屋と同等に扱われるのは迷惑かもしれないが、でも向いている方向は同じであり、趣味を同じくする仲間だと私は思っている。

 では違いは何かといえば、書いた記者のスタンスが違うだけだ。

中日新聞 2018年6月16日(夕刊)
中日新聞 2018年6月16日(夕刊)

(おわり)