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私の尊敬する人(1) ― 父の命日に

 その昔、予備校の授業中に、面接を受ける際の心得のようなことを指南してくれる先生がいた。曰く、「尊敬する人物は?」と聞かれたら必ず、「父です」と答えなさいと。女子諸君なら「母」でも悪くないが、男子諸君は間違っても「母」とは答えないように。―― そりゃ、ごもっとも。

 ではなぜ、「織田信長」とか「野口英世」ではいけないかというと、理由を聞かれて自信満々答えたその答えが、突っ込みどころ満載なのだという。その点「父」は誰も知らないから突っ込みようがない。

 そうは言っても、理由を聞かれてしっかり答えられないでは恥ずかしいし、逆に知らないだけに面接官もフォローのしようがない。だから、「尊敬する父」について自分の中でしっかり整理しておきなさい。そういう話だったと思う。

 そもそも予備校の先生がなぜそんな話をしたかというと、受験に失敗して就職する時の心配をそろそろしておいたがほうがいい、とかいうことだった。もちろん冗談だが、大きなお世話もいいところである。しかし、浪人生というものは、高校時代の跳ねっ返りがウソのようにやけに素直で従順になっていたりして、挫折感から何かにすがりたい思いに支配されていて、予備校の先生の話をみんな食い入るように聞いていた。

 それに浪人生には持て余すほどの時間があって、かといって勉強以外の他のことに手を出す勇気はないので、勉強に疲れるとただぼんやりと物思いにふけったりすることがよくあった。そんなときに私も、「尊敬する父」について考えてみたと思う。

 当時、私の父は長い長い闘病生活のただ中にあった。元はといえば父が事業の借金を抱えたまま病に倒れたところから家族の苦労が始まり、私もいったんは大学進学をあきらめて就職し、そして自分で働いて貯めた金で大学へ行こうとして予備校で学んでいる。そういう状況下にあって、「尊敬する父」を思い描こうとしてもかなり困難で、いつの間にか、いつも家族のために苦労している母への感謝の念ばかりがこみ上げてくるのだった。 

 男は歳をとると男親に似るとよく言われる。私も歳をとったらしく、今では何から何まで父そっくりだ。というか父を亡くして30年近く経つので、私の記憶の中の父がだんだん私に似てくるのかもしれない。かつて、私の中で囲っていた父へのわだかまりや、いくばくかの恨みにも似た感情はすっかり霧消し、今なら「尊敬する父」をいくらでも語ることができる。

 予備校の先生は、勉強の他にいろいろなことを教えてくれた。挫折感にさいなまれ、不安に打ちひしがれている若者たちには、きっといろいろなことを素直に吸収して成長していける素地がいっぱいあったと思う。そんな若者の心の奥底の柔らかい場所に、こっそり「家族愛」の種を植え付けていった先生がいた。その名を高橋順三郎先生という。何の先生だったか、もう忘れた。